「身体」両義性for森林哲学Forest-philosophy

 「自然」である身体は考える主体。考える主体である身体は認識の<対象になるのか><自己になるのか>

 対立を超えた<どちらともいえない>身体のリアリティ。

 それは<曖昧性>でなく<両義性>とするメルロ=ポンティ

 言葉を思考の「身体」とした。

 山中慎一朗は言葉の外にある思考を言葉に置き換える。自然である身体を感じる。

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