「身体」両義性for森林哲学Forest-philosophy 日付: 2月 01, 2011 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 「自然」である身体は考える主体。考える主体である身体は認識の<対象になるのか><自己になるのか> 対立を超えた<どちらともいえない>身体のリアリティ。 それは<曖昧性>でなく<両義性>とするメルロ=ポンティ。 言葉を思考の「身体」とした。 山中慎一朗は言葉の外にある思考を言葉に置き換える。自然である身体を感じる。 コメント
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