弥生時代は伊場遺跡に移るin浜松市博物館

 縄文時代の蜆塚遺跡から弥生時代の伊場遺跡。

 縄文時代は海進と共に津波を恐れていた。内海沿いに縄文時代の遺跡が残る。

 釧路湿原の奥座敷となる鶴居村キラコタン岬はアイヌ語(≒縄文語?)でキラ(逃げた)コタン(村)と呼ばれる。

 津波から逃げたとの説も。

 縄文時代から弥生時代というくくりではなく、採取生活から稲作生活、海水面の後退が、否応もない生活フィールドの転換を余儀なくさせたと山中慎一朗は考える。

 森に囲まれた内海沿いの蜆塚遺跡から、平地の湿地に面した海岸沿いの森の伊場遺跡。

 1989年の最高裁判所判例、裁判長の坂上壽夫、陪席裁判官の伊藤正己・安岡満彦・貞家克己によって静岡県史跡を全面解除された。

 これが日本国の司法。どうしようもない国は司法から生まれる。

 弥生時代から奈良時代、平安時代と東海道の繁栄を極めた伊場遺跡はJR浜松工場となっている。

 浜松市の行く末が見える。

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