森林セラピーつあー

 明日は、森林セラピーつあーが入っています。私にとってこれは本職となるべきものなのでしょうが、なかなかそう簡単にはいきません。
 先日、毎日新聞の記者に取材をして頂きました。とても勉強になりました。記者に突っ込んで頂く事に気付きを頂きます。自ら展開できないところ上手に触れて頂けるのです。そして、それはとても大事なものなのです。
 私の場合、会長との関係は山﨑山林にとって切っても切れないものなのですが、それが何なのかを痛切に感じることができました。また、その他にも釧路湿原を新聞紙面で語る多くの方に対する異説を話す機会も頂きました。またそれは、記者の思いにも繋がりました。
 釧路湿原にテーゼが出来上がってしまっている悲しさに気付く事が大事です。それはあまりにも単純です。自らの人生以上に自然が単純明確であることはありえません。なぜ、それほどまでに単純明確にする必要があるのでしょうか?それは、地位と名声と富に過ぎません。それが必要でない人にとってテーゼが必要でないからです。つまり、釧路湿原がそれほど単純に保全できないということを知らしめる事が大事です。環境省が釧路湿原を今の状態で維持できる訳がありません。人ができる訳がありません。
 移り変わってきた自然の中から人は生まれました。その自然の中で育みました。その自然を利用し壊しもしました。でも、自然を人が創れません。それは人以前のものです。人はただ単に生き方を考えれば良いのです。維持しよう守ろうではなく、どう生きるのかを考えれば良いのです。それしか出来ない事が人の人生のように感じます。

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