「釧路湿原の聖人・長谷川光二 永遠なる人間の鏡」2

 伊藤重行著「釧路湿原の聖人・長谷川光二 永遠なる人間の鏡」をとりあえず読み終わりました。なかなか難しい所は、さらっとしか読んでいませんし、俳句はほとんど飛ばしました。この本の全てを理解して楽しむには、まだまだ修行が足りません。
 長谷川光二氏はもちろん凄いと思いましたが、伊藤重行さんの哲学がそれ以上に楽しませて頂きました。伊藤重行さん本人を知っていますのでどうしてもそちらに意識がいってしまうのです。後半には、長谷川氏との考えの違いを明確にしている部分もありましたので、嬉しかったです。伊藤重行さんの長谷川氏の考察を現代に繋げているくだりも楽しく読ませて頂きました。もっともっとそのくだりが読みたかったです。丁度2年前の今日、元旦に執筆している伊藤重行さんの姿が思い浮かびます。

 俳句を作るのは楽しいのですが、長谷川光二氏の俳句を詠むのは難しくて苦労しました。なかなか続けられませんでした。ぱっと直感的な俳句が好きなのですが、なかなかそういう訳にもいかないものです。

 死の生を刈りて香る青き草 sin

 大木の香り楽しむ秋のウド sin

 以上の二句は、読書中に書いたものです。如何でしょう。直感的な俳句を書こうと思うのですが、なんかひねってますね。それが俳句なのでしょうね。俳句にもなっていないのでしょうか?俳句を学校以外で勉強した訳ではないので、それすらも怪しいです。

 読後、「これから俳句を書いて行こう」とは思いました。

 もうひとつとして、とても珍しい構成の本の様に感じました。ストレートな感を強く感じました。今書こうとしている「山﨑山林」の構成にとても参考になりました。パクらせて頂こうかと思います。こんな感じです。

 森の遺伝子
森の中の生物は、少しでも遠くに遺伝子を運ぼうとしています。植物では受粉の時にまず、遺伝子を遠くに飛ばそうとチャレンジし、種子になっても、また、少しでも遠くに飛ばそうとしています。これは生態系的に必然です。動物も同じです。最も大きな動物であるヒグマでさえも2年で親子は別れます。別れる事によって遺伝子を遠くに飛ばし、親近者との子孫を無くすのです。つまり、生物は種の保存の為に遺伝子を遠くに飛ばす事が前提とされているようです。
現代を見ると明らかにこれに反している種がいます。自分の子どもをなかなか遠くに飛ばせない親、なかなか遠くに飛んで行こうとしない子。一緒にいるから親が子を殺したり、子が親を殺すのです。人間です。
親子愛、兄弟愛は美とされてきました。だいぶ薄れていますが、今でも健在でしょう。今の世の中を見ると明らかに美ではありません。一緒にいても歪み合っているパターンが実は多い様に感じます。他の種と同じ様に遠くに飛んで行けば、わざわざ殺しに行く事も無いでしょう。

 如何でしょう。どこをパクったのかと思うかもしれません。長谷川光二氏の哲学から伊藤重行さんの哲学に繋がっている所から、自然から私の哲学といった繋がりを書いてみようと思ったのです。こんな話は他にもあります。ただそれを「山﨑山林」に書こうとは思いませんでしたが、私的にとても楽しい部分ですので、書いてみようかと思い立ったのです。伊藤重行さんのおかげです。ありがとうございます。

 最近、まったくキータッチが進みませんので諦めています。この文章もやっと書いています。ホームページに出てくる占いが最悪なのです。占いは信じてませんが、自分の不調から、たぶん占いは当たっています。やりたい事は山ほどあります。ひとつづつ楽しみましょう。

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