和歌山県高野山の森林セラピー基地は凄いin森林セラピーの旅


 やはり高野山に魅かれるものがあった。義務教育の中の刷り込みなのかも?

 朝の投稿にも書いたが、凄い雪だった。「昭和38年ぶり」と言う地元ガイドも。山中慎一朗が生まれる前の年だ。

 そんな雪の演出がそう感じさせたのか、高野山は別世界となしていた。雲の上の森。

 「なぜ?高野山が森林セラピー?」と大きな疑問だった。森林セラピーに係る必要はないのかと。

 今日は森林セラピーロードのほんの一部を歩かせてもらった。そしてわかった。

 「高野山は森林セラピーをするべき場所だっただけである」と。今まで回った森林セラピーロードと全く違った森林セラピーが出来る場所。高野山の森林セラピーが出来る。

 それは、空海でも、歴史でも、宗教でも、世界遺産でも、観光地でもない、「森づくりの森林セラピー」だった。

 高野山の森に携わった想いを感じることが出来る。1200年の歴史の森をこれから紐解ける楽しみがある。森はどんな時を歩んできたのであろうか?人とどんなかかわりをしてきたのであろうか?知る必要はない。わかる必要もない。ただ好きに想像することが森の時間を楽しくさせてくれる。

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