「立ち位置」森の会話in厄除観音「法多山」尊永寺with森林セラピスト


 2011年最初の「森の会話」は、厄除観音「法多山」尊永寺での「立ち位置」

 「この木は何年ここに立っているのだろう?」「100年?200年?300年?」

 木は「立ち位置」を変えられない。根を張る植物は、自分では「立ち位置」を変えることができない。自分が立った環境に合わせて姿・形を変えてゆく。植物は多様な現れを見せる。それだけ変化できる遺伝子を持っている。幹が傷つけられても、枝を折られても、次なる手で生き延びようとする。フィトンチッドも出す。

 動物は「立ち位置」を変える。「立ち位置」を変えることによって生き延びる。ヒグマからアメーバ?まで。
 環境を変えて生きる動物は、個体の見分けが出来ないほど似かよっている。猿山のサルですら、なかなか識別できない。

 人間でもやっと。AKB48、SKB48は山中慎一朗には識別できない。

 動物が生きるために変えるのは姿・形ではなく、「立ち位置」である環境だ。

 「立ち位置」を変え、環境を変えることによって、人間は「観念」も「思想」も変えてゆく。変えてゆかなければ人は生き残れない。

 2011年の人間は、どんな「立ち位置」に立つのだろうか?

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