福岡正信MasanobuFukuoka「自然に還る」増補新装版を読破

 福岡正信「自然に還る」を読み終えた。458ページというボリュームは年を超えてしまった。

 自然農法のマニュアルではなく、福岡正信の哲学が書き綴られている。

 “ただ生きておればよい”から始まり、宗教、科学、政治、経済、学術を切り裂き、すべては“無”であると説く。

 大自然を壊して作られた大聖堂、寺院に神はいない。神は自然を壊してまでの人工物を欲してはいない。自然が神。

 ダーウィンの進化論は相対的なものであって絶対的なものではない。絶対的な生物は最初から生まれていた。

 国民に所有させて、国はいかに税金を徴収するかによって、国を維持しようとしている。国がないところから人は生きていた。

 経済成長によって、生活が維持される。それが経済学者の信念。経済がなくても人は生きていける。

 政治と経済の中の学術でなければ、評価されない。政治と経済から離れた学術は大学には存在しえない。

 今では、当たり前のように思う人も多いが、改めて思い起こすことが出来る。
 自然農が普及しないのは、当たり前のこと。経済を成長させない。税金を増やさない。大学の教授には認められない。科学的ではない。自然が神となり、お布施もない。哲学だけによって支えられる自然農なのだから。

 そんな生き方をしようとしても、NHKも取り扱わないはずが、そうでもなかった。砂漠緑化という手を使った。何故、福岡正信が自然農から砂漠緑化に進んだのか?

 自然は神なのだろうか?神は居るのだろうか?神は無なのか?

 最近、流行のパーマカルチャーに神は居るのだろうか?

コメント