古代東山道for富士見台高原トレッキング10


 萬岳荘で冷えたビールを楽しんだら、古代東山道から園原の里に下りる。

 東海道で生まれた山中慎一朗は、長野県阿智村ヘブンスそのはらのガイドを始めて初めて東山道を知った。

 通さん道?父さん道?最初は冗談かと思った。

 飛鳥時代から奈良、平安の律令制における行政区画。五畿七道、畿内七道と呼ばれた。

 東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道。

 現在は流域での区画の都道府県となっているが、この頃は道によって行政区画されていた。人は道によってつながっていた。

 明治時代、松浦武四郎に「北加伊道」と名付けられた蝦夷地(えぞち)は北海道となった。何故?畿内七道の呼称に倣ったのか不思議だ。

 松浦武四郎はアイヌの案内で獣道を歩き、それが人道となり、北街道となることを予見していたのだろう。

 それは道州制へと移り変わるのかもしれない。

 縄文からの道とされる東山道は日本武尊も歩いた。今は山ガールも歴女も歩く。

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