古事記を眺める機会から出雲大社に行った。
金田一京助はアイヌを異文化としアイヌ語を孤立した言語とした。イズモはアイヌ語で「岬の陰になった入江」の意味ととれる。出雲地方には岬も入江も多い。
縄文語からアイヌ語と弥生語が生まれ、弥生語が日本語となったと考えれば、アイヌ語と日本語は繋がる。
アイヌは人間以外のものの心をカムイとした。大地、火、クマ、キツネ、家、鍋と自然界から道具にまでカムイは宿る。
アイヌとカムイは別世界に住み、カムイは人間界ではものに宿る。
古事記では大地も人間も神から生まれる。
ギリシア神話では人間は土から生まれる。
アイヌでは人間の生まれは語られているのだろうか?
古事記の八百万の神々はギリシア神話のように人と同じような姿や人格を有し名前も持つ。
カムイはものの姿となり名前がない。
山中慎一朗は「カムイは八百万の神々と通じるものがある」としてきたが全く違うものでもあるようだ。
定住しないアイヌは祭壇は作るが、出雲大社のような立派な建造物は作らない。
古事記は天皇を神とするために使われる。
言い伝えられた庶民のカミは神道の神と融合され天皇とつながり、国の統治は人間だけではなく自然にも及ぶ。
国は原子力をも統治できると信じてしまった。
定住しないアイヌは誰からも何からも支配されなかった。
定住しない山中慎一朗は、森の中で感じるカミを出雲大社では感じなかった。
出雲の森は東北・北海道の森に通じる。
コメント
コメントを投稿