「アイヌの人々を、自然との共生のイメージで語ることには問題があるのではないか」
この一文から始まる「アイヌの世界」講談社選書メチエ瀬川拓郎著を立ち読み。
山中慎一朗の持論と同じだったので少し読み進んでみた。
瀬川拓郎氏は「アイヌ・エコシステムの考古学」で名前を知っていた。
「アイヌの人々」はまずい。「人の人々」となってしまっている。
アイヌは定住しなく、交易のために多くの生物を採取していた。
ただ、アイヌの人口が少なく、どれほど乱獲しても種を絶やすまでには至らなかった。四季を通じて採取する種が次々と移り変わり、そのために移住して歩いたので、自然と共生されていた。
瀬川拓郎氏は考古学からアイヌを見て、山中慎一朗は自然からアイヌを見る。
「マタギ文化のアイヌ語」も書かれているが、山中慎一朗は「古事記のアイヌ語」も書いてほしかった。縄文語はアイヌ語となり、日本語はアイヌ語から生まれた。
八百万の神々はアイヌ語を話していた。
山中慎一朗の持論。
そんなわけで今日も「元気になる!日本の森を歩こうby日本の森を歩く会」の続きが読めない。
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